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知念範紺琉球服装学院

知念範紺
祖母や母親の影響で物心ついたころより沖縄の工芸や芸能に触れてきた
2009年に知念範紺琉装文化学院を設立

琉装学院の成りたち


私は小さい頃からおばあちゃん子で、ずっと琉装を見ていました。
そして琉球舞踊もやりながら、ずっとやっていたんですけど
他の人から教えてくれないかねということで立ち上げました。
しかし、教えたら教えっぱなしじゃないですか
できたら活動する場所を欲しいということで、琉装学院を立ち上げて
公演をしながら皆さんと一緒に成長していきたいなと思って立ち上げました。

メンバーについて

免許とっている方は20名ほどですけど
それ以外にまた免許取らない方でも必要に応じて習いにきています

琉装の魅力と沖縄の文化について

琉装の魅力というのは、とてもつけやすいということ
とても身軽で、歩く姿は本当ゆりの花みたいで
頭から下まで等身大がとてきれいということ。
気候に合った服装で、もうみんな好きで言い表しいようがないぐらい

沖縄に生まれて本当に良かったなというのが、沖縄の文化に触れて
また、それを通して琉装をできるということがとてもよかったと思っています

琉装の過去と現在の変遷

着ている本人がとても垢抜けするんですね。
今の人は、今の人なりのまた琉装のやり方もあるんじゃないかなと思うんですけど
個人の嗜好を分からないので、若い人と一緒にまたいろんな勉強しながら頑張っていきたいと思います

 

琉装の普及

金城佳子さん:
一昨年でしたね、このコロナの前に先生がやった公演で琉装で来た方には割引っていう
公演をしたらやっぱり4〜5名着物で来てくださったりとか
あとはその会場で着替えれるような形で体験も受付して、場所を作ってとか

知念範紺さん:
まだまだ皆さんに普及してないから、普及したらいいなと思ってます。

金城佳子さん:
琉装も継承をすることで、また琉装と付随してですけども琉球舞踊ももちろん広がっていくでしょうし
それからその素材ですよね。沖縄の伝統工芸とかも一緒に継承できる
広い範囲で琉球の沖縄の良さを継承できると思うので
また琉装って本当に身近なもの、衣食住の衣のところなので少しでも沖縄県民に
少しでもじゃないですね、たくさんですね沖縄県民に着てほしいです。

琉装文化を広める活動

やはり着てもらう、実際に体験してもらわないといけないと思っているので
知念先生はそういった観光プログラムを作っていて
実際にで体験してもらってという感じなんですけど、今ここに2年ぐらい
本当にコロナで観光客も来ない状態ではあるんですけど、その中でも
やはり実験的に識名園で本当にお客さんを招いてやったりとかしています。

そういった琉装を着てもらえる
体験してもらえるような機会を作っていけたらなと思います

実際に沖縄の行事もなくなってきているじゃないですか

なので、行事を復活させてその中で琉装を着て体験してもらうというのが
先生の夢で、ここ2〜3年のうちに人が集えるようになったら
そういった行事も大きくできたらなと思ってます。

イベントを通して沖縄の文化や琉球のアイデンティティを継承するために

今回上演した作品の中でも浜下りというシーンがあったんですけど
3月3日に女の子は海に出て、その汚れを落としに行くっていう習慣があったんですけど
まだ海に近い人たちはやっているところも実際ありますけど、
ほとんどの女の子が行ってたんですね、昔はそれが行事で当たり前だったのに
やらなくなったりとか、それすら知らないっていう世代が増えてきているので
そういう行事を通して、大事な沖縄の文化、
琉球のアイデンティティーとかも一緒に繋げて継承できたらなと思っています。

沖縄イベント・公演

先生は琉球舞踊の先生でもあるので舞踊だけになると、
また舞踊の扮装でしか見せれないんですが、伝統行事の中のまた琉装を
沖縄の衣装とかというのを見せたいということがあって
今回、伝統行事を1月から始まってという感じで
大きな行事をピックアップして並べて上演したんですね。

本当はもっといくつも沖縄の行事をのせたかったんですけど、
その中でも七つピックアップしました。
催し物を再現することによってあるんじゃないですか

琉装の着用

私たちもエイサーだったら、みんなエイサーのときの衣装って着るかと思うんですが、
なかなか琉装ってほんとないですよね。
だから沖縄のお祝いでしか着なかったりとかするので、お祝いもだいぶ十三祝いとかもドレスとか
変化していってるんですけど、やっぱり沖縄の独特な行事に関しては琉装を着て
もっと決めるみたいなところが増えていけばいいなと思います。

コロナ禍での活動

はい、パネルディスカッションをやったりとか
休むことなく、ちっちゃくてもいいから続けていくのがいいかなと思って色々やりました

学院のみなさんもやはり歩みを止めないようにということで、
衛生管理の勉強をしたんですね。
琉装をやってもらうときは人と密になるといいますか
距離が近いですから、どのように衣装を扱うかとか
それから、化粧品道具の管理だったりとか、
そういう衛生面のことを専門の先生をお呼びして勉強会をしたり

それからもう一つ歴史を勉強しましたね
これはやっぱり戦後の復興とか、やはり先生方はすごく
焼け野原の中でないものから琉装を復活させているというところで、

やはりコロナで沖縄のものはなくなってはないですけど
いろんなチャンスとか機会が奪われたので
どうやって復活させるか、復興するかっていうことを
先生方からパネルディスカッションでお話
生の声を聞かせてもらって励みになりました

琉舞と組踊とお芝居でしたね
それぞれのジャンルの先生方をお呼びしてお話聞かせて
映像配信で、先生のチャンネルの方では出してます

あと琉装という言葉の定義だったりとか、専門の博物館の先生をお呼びして
そういったのも與那嶺一子先生にもお話していただいたりとか
ということで、先生の基盤を、足元をさらに固めるために
私たちも一緒に勉強する時間でしたね

今後の予定

私は海外とか県外から観光の方がいらして、この方たちに
琉装を普及したいと思いますが、沖縄の方がもっと自分たちは沖縄に生まれて
琉装を全然やったことない人もいるのですね
そういう方はぜひ体験してほしいと思いますね
行事行事の間にいろんな琉装をやっていただけたらいいなと思ってます

私もその先生を見ていた時代がお話聞くだけなんですけど、
やはりそこには琉装の優雅さだったりとか
本当に街を歩いて琉装のおばーがいたんだよって話とか聞くと
そういう沖縄の良さとかが、そこにはあったんだろうなと思うと
私たちも若い人も気軽に琉装を着て、ちょっと街を歩けたりとか
その首里城の周辺とか歩けて、その良さとかが琉装の中に
また知恵もたくさん詰まってますので、この暑い沖縄を涼しく過ごすためのその知恵は
琉装の中に残っていると思うんですね。琉装ってほんとに紐で括っている感じで
あと着物の作りと違うんですね。袖が開いていて
風通しがいいように広がってたりとか、知恵がいっぱい詰まっていますよね
沖縄の先人たちの知恵が入ってますから
なので、そういったことも一緒に合わせて継承できたらいいなと思います。

皆さんへのメッセージ

聞くだけじゃなくて、やはり体験したり見たりしないと
やっぱり興味が出ないじゃないですか
それでも皆さんにはぜひ見てもらい、また出来たら参加していただきたいと思います。

 

空えぐみ氏

大阪府出身の漫画家
「沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる」の著者

漫画家の楽しさ・魅力・苦労は?

やっぱり自分が感じたことを漫画にすること自体がたまらなく楽しいですね。
そしてその(読者の)反応が本当にさまざまでして、自分が伝えたいことがそのまま伝わったり
読者さんが違う着眼点で楽しんだりとか
読み手の人の中で物語やキャラクターが生きているんだなと思うと
すごいワクワクして楽しいですね。逆に苦労することは
今連載している『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』でいうと
沖縄の文化って、エイサーだったりカジマヤーだったり
シーミーだったり、それだけですごく面白くて楽しいものなんですけれども
そういう既に面白いものを自分なりにどう漫画にしてきちんと楽しくするか
というところに頭をひねりますね。
そのまま「沖縄文化はこういうものがあります」と書いてしまうと
やっぱり教科書みたいになってしまうので。
その場合、沖縄に興味を持っている人は読んでくれるんですけど
そうでない人は「そもそも読んでくれるのかな?」と思うので
やっぱり漫画は入りやすい媒体なので
沖縄を今まで意識してなかった人にもできるだけ入り口を広くして
漫画を通して沖縄に興味を持ってもらうということに苦労するというか。
でもそういう人にも届くように描くことが目標ですね。

「沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる」ストーリーの誕生秘話は?

父方の祖父が沖縄出身でして(祖父が)若い頃に大阪に来て、お父さんが生まれて僕が生まれたんですけども。
沖縄に行ったことが高校の修学旅行しかなかったのであまりなじみはなかったんです。
東京に行った時に別の漫画を当時は執筆していたんですけど
そこで知り合った沖縄出身の友達がいまして。
その方にですね、沖縄の楽しいことをたくさん聞いてるうちに「沖縄ってすごい面白いな」と思うようになりましたね。
それで「僕も沖縄の漫画を描きたい!」と思いましたけども
まずは行って体験したいと思って沖縄のマンスリータイプのアパートを借りて1ヶ月だけ契約したんです。
もちろん沖縄を1ヶ月で体験しようだなんてとても足りなくて
結局は延長して2ヶ月ほど住んで、一旦内地に帰ったんですけど…帰ってから思ったのは
2ヶ月沖縄に住んでみて「やっぱり2ヶ月じゃ足りないな」と思いました。
ウチナーンチュの考え方とかそういうところをどうしても描きたかったので
これは移住しないとダメだなと思ってすぐに本格移住を決めました。
長期タイプのアパートを契約して今に至るという感じですね。
アパートを借りて2ヶ月では地域の方に本当に仲良くしてもらって。
旧盆にも呼んでいただきましたし自宅にもお邪魔させていただきました。
そこでウチカビを一緒に燃やしたりとか。長期滞在してからはシーミーにも呼んでいただいて
本当に良くしていただいてるんです。そこで皆さんに沖縄の話をたくさん聞いて
自分が「沖縄の漫画を描きたいんです」と言うと
「そうなの?じゃあこういうの知ってる?」ってすごいたくさん教えてくれるんですよね。
それで本当に楽しそうにお話されるので
沖縄のことを皆さんは本当に沖縄のことが大好きなんだなって感じますね。
そういうウチナーンチュの沖縄愛みたいなものを漫画に込めたいと思っているので
やっぱりそれは絶対に住んでみないと触れられない、感じられない部分だと思いますね。

今後の活動や展開について

沖縄は本当に魅力的な文化がたくさんあるので
地域によって、ヤンバルだったらヤンバルの文化がありますし
南部だったら南部の文化があるのでそういったところは
本当に車で飛ばしてでも触れたいと思っています。
今はコロナ禍でなかなか開催されないってこともあったりするんですけども
開催されるとなったら那覇や与那原の大綱曳きも見に行きたいですし
時間を削ってでも見に行きたいですね。

それと、今はうるま市の具志川に僕は住んでいるんですけども
具志川にしかない札遊びがあるんですよね。
島札とか字札とか呼ばれているんですけども
それも漫画には描かせていただいたんですけど
それを描かせていただいたときに「これは何だ?」というふうにお問い合わせいただいて。
沖縄県に住んでいらっしゃる方でも知らない
うるま市の具志川だけで売られている
具志川だけで遊ばれている札遊びなので本当にみんな知らなかったんですけど。
地域の方に「台風の時はみんな何して遊んだの?」って聞いたら
「字札で遊んでいた」とか
「正月とかも字札で遊んでいてオバアが本当に強い」とかそういう話を聞いていて。
漫画では絵だけしか出してないんですけど
でも絶対にこれは描きたいと思って描かせていただいたんですよね。
これを漫画で描いたときに内地(県外)でその漫画を読んでいただいた方
昔の札遊びを調べている方がうるま市の商工会に問い合わせしていただいたみたいで。
でもうるま市商工会の人もこれが何かわからなかったんですよね。
具志川の公民館に問い合わせが行って
「(島札を)もう一回作ろうか」という話になっているんですよね。
そういう新しい発見や意外な繋がりも大切にしていけたらと思います。

皆さんへのメッセージ

今コロナで大変な状況で沖縄の観光客も少し減っているみたいなんですけども
そういったときも自分は漫画を通して
「沖縄ってこんなに楽しいところだよ、素晴らしいところだよ」
という風に県内外にアピールしていきたいと思っていますので
これからもよろしくお願いします。